映画 ”マトリックス”







上の子と映画「マトリックス」を見ました。ややお手製サラウンドシステムで。アンプはママ友の旦那が子供がこういうの(キカイ系)好きだからと(子供に)お下がりをくれた。

それに既存のスピーカセットの有り合わせを組み。サブウーファーはぼくの古〜いカーステのウーファーを使って自作。(彼が、というか全部セッティングも含め)

リアスピーカの位置を変更したのでいろいろ確認がてら映画ちょっと見てみたいと。

ぼくのリクエストで「マトリックス」!

久々。

キアヌ・リーブスが好きです。大金持ちの暮らしができるのにしない。淡々としているところが好き。だけど彼は親兄弟の境遇が大変なようで、それで佇まいに陰影があるようだけれど。

本も映画も自分の生きた糧の経験値によって、全然ちがって入ってくる。

今回久々に見たけれど、より深くセリフが入ってきた。もう心のなかで(というか魂がだろう)よっしゃぁ〜!!!連発でした。

今生きているこの世界が現実と思っていたら、真実はコンピュータに支配された「マトリックス」という仮想現実空間の中で”奴隷”として知らずに生きていた、という設定ですが。

そしてその中から、「何かがおかしい」

と気づく者たちが現れてくる。

僕はスポーツが好きだったりするので、”トレーニング”のシーンの、カンフーのくだりが特に好きです。

仮想現実空間の中でのトレーニングで、「設定は現実の空間と同じだ、この世界はお前が認識したことが現実となる、速さとは何か?」みたいなところがありますが。

そして主人公”ネオ”はどんどん反射神経の速度を、体の反応速度を上げていく。

そして”格子”の中に居ながら”格子”を知っていき、その支配から抜け出していく。

「自由とは何か?」

今回はあるシーンが今まで引っかからなかったところで凄く気になったのが自分としても印象的でした。

仲間の一人が、真実を知って、「知らなければ良かった、前のマトリックスの世界に帰してくれ、記憶も全部消してくれ」

と言って結局仲間を裏切って味方も巻き込んで死んでいったシーンがありました。

僕は常々思っていることがあるのですが、すべての存在は、人間は、自分がそこにいることを選んでそこに存在しているのだ、いるのではないかと。

先だってのイリュージョンの寓話のところでも出てきますが、

 救世主の深く静かな声。
「健康や病気、富裕と貧困、自由と隷属、これらを受け入れるかどうか、決めるのは私達です。運命を支配するのは私達自身であって、他の誰でもない」

そういえば、「マトリックス」も主人公ネオが”救世主”である存在かどうか、予言者に会いに行く、というシーンがありました。

少し、”現実?”に押しつぶされそうなところだったので、精神のリセットができた感じです。

とは言え、「足は大地に!」のアミの本の中のメッセージのように、目の前に起きていくことにも向き合いながら、日々過ごしていきたいと思います。












  

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