四国巡礼?

どうもです。

ご無沙汰です。

本年もいい年でありますよう。世の中にとりましても。

さて、もう新年、正月もあっという間に過ぎ、はやいろいろありました。

年あけ早々、NPOの全体的な会議があり、新年会があり、1/12.13.14と高知、徳島へ行くことが決まり、ばたばたと行ってきました。

自伐林家交流会なるものに参加し、その後、徳島の有名自伐林家の橋本林業の山林を見学し、帰ってきました。

自伐林家交流会

橋本林業 〜林業新知識より〜

橋本林業  SGEC 森林認証審査報告書

またカルチャーショックがあり、僕の山、林業に対する見方が変わりました、というか、またベールが減りました。
橋本先生の林業、山に対する向かい方に大変影響を受けました。

・・・そう、いろいろと月を追うごとに大きな行事があり、そのたびにしっかり記録して伝達したい、と思っているのにそれをするころには次の出来事が・・・と過ぎていってしまいます。

で、なにを思ったかと言いますと、wikipediaにソクラテスについての記述があり、(ひょんなことから調べた)

物事を書いて記録することについて考え込んだ、ということです。

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  ソクラテス  ウィキペディアより抜粋

ソクラテスは書記言語の野放し状態の普及を激しく非難していた[21]。

ソクラテスは、話し言葉つまり「生きている言葉」は、書き留められた言葉の「死んだ会話」とは違って、意味、音、旋律、強勢、抑揚およびリズムに満ちた、吟味と対話によって1枚ずつ皮をはぐように明らかにしていくことのできる動的実体であると考えた。書き留められた言葉は反論を許さず、柔軟性に欠けた沈黙であったので、ソクラテスが教育の核心と考えていた対話のプロセスにはそぐわなかったのである[22]。

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ある物事を書物に残し、それを元に伝達する、という行為は、教科書をはじめ、とても重要なことだとおもうのですが、でも、以前取り上げさせてもらった、故西岡常一さんの宮大工の”口伝”のことも思い出しましたので。さらに、今書いていて”老子”のことも思い出しました。

老子の、最初の、序章のところにも、ソクラテスの警告していることと同じようなことが書いてあったな、と思い出しました。

たしか、物事を、それを、書いた時点で、記録した時点で、その、物事そのものではなく、「物事そのもの”について”」のことになる、というような話だったと思います。

何が言いたいか、といいますと、聞いたり読んだりしたことと、実際にその目で、行って確かめたり、自ら体験したことでは、全然違うのだろうな、ということを思ったということです。
だから、飛鳥の宮大工は、代々”口伝”で技術を継承していったのだろうし。やって見せて。うんちくではなく。曲がって物事が伝わることの危険性や継承の伝達性も、”口伝”が最善という結論になったのではないかと思ったりします。

宮大工の”口伝”と、ソクラテスの”無知の知”、老子の”物事を記録した時点で、物事そのものを指さず、「物事そのものについて」のことになる”は、同じことを言っているのでは、と今書いていて思いました。

矛盾することですが、これを書いていて、変な気持ちになる。ただ、書くことを否定していると言うことではなく、書いた時点で、「それについて」になってしまう。それそのもののことではなく。

ぼくは、林業については、”現場主義”であるべき、と思っていますが、まず戦場でいうところの、前線で、一番危ない目をして仕事をしている現場の人たちこそがもっとも”林業”の空気を味わっている、と思っています。これについてはいろいろと論議があるかと思いますが(特に設計、コンサルや政策をつくっている人たち、お役人様達、学者先生方・・・)。

机上の理論で林業を考えないでほしいということです。

誰が担っているのか

現場の人たち?

基本は、自給自足、だったと思います。

昔は自分とこの山の木は自分たちで切って出していた、そうです。皆が皆ではないですが。

それが、やはり基本だと考えます。その上に、組織立てて物事を進めていくという枠組みがあるべきでは、と思います。

役割分担。

これが、いまや現場が従で、設計が主になっている。

だから、現場の人たちも、現場サイドだけの論理でかんがえるのではなく、全体を考えられるようになればこれに勝るものはないと考えます。

まあこれは林業に限った話ではないのでしょうが。

実際に携わるものが、そこの現場の空気を吸うものが実態を知り得る、と思います。

見聞きする<現地で見る、見学する<体験する、携わる 

大小の関係ではないですが、体験することが一番知ることに近い位置にあるのではないでしょうか。

ただ、伝えることの重要性も認識すべきではあると思いますが。それが曲解につながる危険性を前記の三者は警告されてたのだと受け取りたいと思います。

共有、ということも大事だと思いますが。

だから、それをふまえて、ブログも書いて、伝えていければ、と思います。
ということで、よろしくです。

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